2012年10月27日土曜日

バオバブと夕日



マラウイ湖のチズムル島に12日間滞在した。 
ここは何も無いところで、毎日イモばかり食っていた。茹でたり、揚げたり、茹でて潰して揚げたりして。

この島にはバオバブの木が多い。
毎日サンセットの時間が近づいてくると湖で泳ぎ、それから陸に上がって体を乾かし、大きなバオバブに落ちる夕日を待った。ある日は音楽を聴きながら、ある日はビールを飲みながら。

ある日、いつもより夕日が綺麗だった。薄らとたなびく雲を、線香花火みたいな色をした太陽が横切って地平線へと落ちてゆく。空はゆっくりと、しかし劇的に色を変える。そこへバオバブを重ねてみると、まるで空からバオバブのシルエットを切り取ったみたいだ。切り絵アートのように。

毎日イモばかり食っていたせいで、想像力が普段よりも豊かになっていたのかもしれない。 
バオバブの木に、日本の木々が重なって見えた。  

まずは紅葉のように真っ赤に燃える。そこから赤みが引いてゆき、次第にオレンジ、金色へと色を変える。今度はイチョウみたいだ。次にキラキラした金色の輝きが少し褪せたかと思うと、今度はほんのりとピンク色が差してくる。ああ、桜だ。春の空気が感じられる程に暖かな色だ。すると今度は薄紫の気配が。街灯の下の夜桜は、あっという間に梅雨の霧雨けむるアジサイに。それも徐々に彩りを失ってゆき、ついには冬の暗い吹雪の中にかき消されるようにして夜へ溶けた。

このとき(毎日イモばかり食っていたせいもあって)心から日本を恋しく思った。
日本の自然には、アフリカの自然には無い「何か」がある。この「何か」はどうしても言葉にすることが出来ない。言葉にならないからこそ「何か」で在り得るような気もする。アフリカの自然は日本の比でないくらいにスケールが大きく、美しい。でも「何か」が決定的に欠けている。

鍋で例えるなら「ダシ」だ。アフリカは具材豪華で見た目華やか、日本は豆腐とネギと白菜だけ。でもアフリカには「ダシ」が欠けている。そんな感じ。そんな感じの「何か」が、日本にはある。人の心の最も繊細な部分に訴えかけてくるような、微妙な「何か」だ。

そんな「何か」が息づく日本に生まれ、「何か」を感じる事ができる日本人であること。
最近、「Where did you come from?」に「I'm from Japan.」と答えることが日に日に誇らしくなってきている。



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