2013年3月18日月曜日

荒野で

アフリカ大陸の左下のほうに、ナミブ砂漠がある。世界一美しい砂漠と言われているらしい。その近くを、2週間くらい自転車を漕いで旅していた。(正確に言うと、ナミビア・ウィンドフック〜南アフリカ・ケープタウン間。)

マウンテンバイクを買ってきて、荷物を全部乗せる。それから食料と水も乗せる。重さを計ってないので正確に何キロか分からないが、もちろん自転車としてはかなり重かった。食事は主にパン。食パンだったり、フランスパンに似た食感の丸いパンだったり、ホットドッグ用のコッペパンだったり。さすがにそれだけでは味気ないので、缶詰も幾つか持った。豆をトマトで煮込んだものだとか、カレー味の野菜スープだとか、そういった缶詰が沢山売られていたのだ。夜はテントを張って野宿する。何も無い荒野の真ん中で日が暮れてしまった時は適当な木の下にテントを張ったし、途中の町で野宿する場合はガソリンスタンドに頼み込んで店の敷地の端っこにテントを張らせてもらった。

そんな風にして自転車旅行をスタートしてみたのだが、想像していたのよりも遥かに大変だった。毎日毎日長い距離を走るのが体力的に大変なのはもちろんのこと、精神的に苦しいことが多い。

たとえば、パンク。道のそこらじゅうにトゲトゲした植物の種みたいなものが落ちているのだが、このトゲトゲが猟奇的にトゲトゲなので、気付かぬうちにタイヤで踏んでしまうとたちまちにパンクしてしまう。砂漠の近くというだけあって、猛烈に暑い上に日陰となる木がほとんど無く、パンク修理の作業中もジリジリと体力が消耗してゆく。これが日に3回も起きるとたまらない。小さい子供の頃など、根気のいる作業が自分の思うようにいかないと「もうやだ!」と半ベソで投げ出したくなることが誰しもきっとあったと思うけれど、たまにそんな風に心が折れそうになる。もうずいぶんと長らく忘れていた半ベソの気持ちを、まさか20歳を過ぎてから再び味わうことになるとは思わなかった。

それから、風も大きな敵だった。普通、風というものはその日その日の天候や時間帯によって、いろんな方向から吹いてくると思うのだが、どういうわけか、毎日正確な角度で向かい風なのだ。無風で平らな道を走れば25km/hくらいのスピードが出るところ、6km/hしか出なかったりする。歩いて自転車を押しても4km/hだから、これはどう考えても遅い。「おい、風!」と叫ぶ怒声も、むなしく風に消えてゆく。ちなみに、本気でキレていた。

そんな訳でイライラが積み重なっていた中、決定的に風が強い日があった。まるで台風のような強い風。あまりに強すぎて自転車を漕げない。自転車を止めて風が弱まるのを待つのだが、面白いほどに風はどんどん強くなってくる。しかし、これは全然面白い状況じゃないのだ。もうすぐ暗くなってしまう。治安の良くない地域だったので、ここで野宿をするのは安全ではないと思われた。現地の人間も、皆口を揃えて「夜はとても物騒だから、次の町まで行って、安全な場所で泊まるのよ。」と言っていた。だが、いくら危ないと分かっていても、前に進むことも後ろに戻ることも出来ないのだ。文字通りの進退窮まるというやつだ。もう今日はここで寝るしかないと思われた。しかし、そもそも、風が強すぎてテントは立ちそうになかったが。「くそ、早くしないと暗くな、あっ。」貴重な食料のビスケットが風で飛ばされ、遥か彼方へと消えてゆく。


イライラがビークに達し、プツン、と糸が切れた。
もう、いい。もう、知らねえ。なるように、なれ。


その時だった。通りがかりのピックアップトラックが停まって、中から黒いサングラスをかけた痩せ形の男が出てきた。嫌な予感がした。車はごくごくたまにしか通らない、荒野のど真ん中みたいなところだ。そんな場所で自転車旅行をしている日本人が足止めを食らって、なす術もなく往生しているのだ。見つけたら、拳銃を突きつけて、「金をよこせ。」その一言で十分だろう。格好の標的だ。車を降りてこちらへ向かって来る男。緊張が走った。


「ヘーイ!ヘーイ!ブラザー!!調子はどうだ〜い!?プロブレムは無いか〜い!?ほらほら早く乗れよブラザー!?」

「あー、開き直ったら最高に開き直った奴がきたー。」と思った。アフリカの人は皆だいたい初対面の時からフレンドリーに話しかけてくるが、このおじさんは別格にテンションが高い。そして話が早い。まだこっちが一言も口を聞かないうちから「乗れ!」と言う。そして、第一声ですぐにわかったことだが、どうやら拳銃を突きつけて金を要求するつもりはないようだった。

「え、いいんですか?もしおじさんが迷惑じゃないって言うんな・・・」
「いーから早く自転車を乗せろブラザー!!!イエーイ!!!」

あれよあれよという間に自転車を荷台に乗せられ、状況がよく分からないままに大盛り上がりのおじさんと握手を交わしハグを交わし、おまけに記念撮影も済ませ、気付いたらピックアップトラックの荷台で自転車と一緒に揺られていた。ゆるやかに登ったり下りたりを繰り返す道路は夕日を浴びて優しい色をしていて、もはや美しいと思えるほどで、ついさっきまで自分を苦しめていた道路とはまるで思えなかった。世界の見え方は、ついさっきまでとはまるで変わっていた。



「もっとeasyにいくかあ・・・。」

イライラしたって、仕方ない。焦ったって、力んだって、良いことは無いのだ。パンクも、何回でもすればいいさ。その度、ばっちり直してやる。風も、吹きたいだけ吹けばいい。自転車を押してでも、一歩一歩進んでいくさ。ゆっくりでいいじゃないか。少しずつ、少しずつ、でも確実に。それで大丈夫だ。それが、一番力強いやり方じゃないか。

時速100キロ以上のスピードで、荒野の真ん中、一本道を突っ走るトヨタのピックアップ。

「誰かが道ばたで座り込んで、全てを放り出して、ふて腐れていることがあったら、今度は俺が迎えに行こう。アフリカ、なんて大きいんだ、なんて優しいんだ、なんて美しいんだ・・・。」

荷台で、そんなことを思いながら、強い風にバタバタと音を立てるウインドブレーカーのフードの下で、涙がにじんだ。



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日々を営む悦び

The things you own end up owing you.
(お前、結局は自分の所有物に支配されてるぜ。)

これは、僕の好きな映画に登場するお気に入りのフレーズだ。欲望が消費を呼び、消費が更なる消費を加速させている現代の日本。意識せずとも、物質至上主義は人々の心理の隅々にまで浸透している。

海外セレブリティーを広告塔に起用した下着を身に着け、それを全自動化された洗濯機に放り込む。「体に良い」と謳われたサプリメントがあれば皆が喜んで飛びつくが、吉野家の牛肉がどういった屠殺過程を経て目の前の丼に盛りつけられているかは殆どの人が知らない。ネット通販でお洒落なインテリア家具を物色し、最新のヒット曲をワンクリックでダウンロードする。

世の中をより住み良くすべく築き上げられてきたシステム、技術、生活文化。その恩恵にあずかる時代の人間として、先人達に対する感謝と尊敬の気持ちは忘れてはならない。しかし、この日常の物質至上主義は果たして本当に自分の心にフィットしているのだろうか。社会全体が今後かくあるべき姿、などという意味で語るにはあまりにスケールが大きい話だが、僕個人のこれからの生き方・ライフスタイルを検討していくにあたっては大変に重要な視点だと思っている。

この視点は今回のギャップイヤーでケニア、タンザニア、マラウイなどアフリカ大陸を旅した経験から獲得したものであり、僕の中で新しい発見であった。そしてそれは、今までと同じように日本に住んで大学に通う生活、言わば「普通の日常」に暮らしていても気付くことのなかった発見であると確信している。

アフリカでの生活は、物質至上主義的に言って実にレベルの低いものであった。市場へ出かけて行き、栄養不十分に育ったと思われる形の悪い野菜を買ってくる。それから自分で集めてきた薪木で火を起こし、食事を作る。どの種類の木が薪木に適しているのかをあれこれと試し、最も効率的な火の起こし方を自然と覚えた程だ。海があればウニを拾って来て食べたし、湖があれば竹竿で魚を釣って食べた。洗濯機は無いから、汚れた服はいつも手で洗う。煙草は自分で巻くし、髪の毛は自分で切る。シャワーは水。寒い日でもお湯は出ない。インターネット環境も無いわけではないけれど、使う頻度は稀だったし、家族へのメール等、必要最小限の利用だった。

しかしそんな生活を続けているうちに、自分の内面にじわじわと芽生えてくる感情を覚えた。「日々を営む悦び」とでも言おうか、毎日を生きてゆくための行為一つ一つ全てが悦ばしいものに思えてきたのだ。「喜び」よりも「悦び」という表現の方がぴったり合っていると思う。精神的により深い「よろこび」だ。「ああ、生きている」という安らぎが心を満たし、日本にいた頃は折にふれて頭をもたげてきた「何か今ひとつ満たされない」欲求はすっかり消え失せた。しばしば「モノが無くても幸せ」などという類の文句を目に耳にするけれど、「モノが無いから幸せ」ということもあるのだなと思った。

物質至上主義社会に生きる人々は、日々繰り返される消費生活によってこの「悦び」を麻痺させられている。高価なブランド物に身を包む喜びも、テクノロジーに囲まれて生活をスマートにスピードアップさせる喜びも、フェイクだ。消費者は、それと気付かぬうちに「消費者的ライフスタイル」に騙され、すかされ、縛られている。ほとんど強迫観念的と言えるかもしれないこの束縛から少しだけ自由になれた気がする今、日本に帰ってからの自分のライフスタイルを一度真剣に考え直そうと思う。その必要性すら感じている。

"I trip to search something and go back home to find it."
(私は何かを探しに旅に出て、家に帰ってそれを見つけるのだ)

アフリカの安宿に泊まった時、部屋の壁に見つけた落書きだ。日本に帰ってからの生活の中で「日々を営む悦び」を発見してゆくことがこの旅の最終目的であると思っているし、それが今から楽しみで仕方ない。本当の意味で、豊かな人生。アフリカでの旅は、そのきっかけを与えてくれた。

スキルアップの為、将来のキャリアのため。ギャップイヤーを選択する人は明確な目的・ビジョンを持っていることが多いと思う。しかし僕は、そうでない人たちにも是非ギャップイヤーをおすすめしたい。日本とはまるで違った環境に身を置いて「search something」する、ただそれだけのことを目的にギャップイヤーを選択してみるのもありだと思う。間違いなく「ただそれだけのこと」では終わらない。この広い世界には、生き方そのものを根本から考え直させられるような経験がたくさん待っている。

http://japangap.jp/essay/2013/01/post-41.html


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