アフリカ大陸の左下のほうに、ナミブ砂漠がある。世界一美しい砂漠と言われているらしい。その近くを、2週間くらい自転車を漕いで旅していた。(正確に言うと、ナミビア・ウィンドフック〜南アフリカ・ケープタウン間。)
マウンテンバイクを買ってきて、荷物を全部乗せる。それから食料と水も乗せる。重さを計ってないので正確に何キロか分からないが、もちろん自転車としてはかなり重かった。食事は主にパン。食パンだったり、フランスパンに似た食感の丸いパンだったり、ホットドッグ用のコッペパンだったり。さすがにそれだけでは味気ないので、缶詰も幾つか持った。豆をトマトで煮込んだものだとか、カレー味の野菜スープだとか、そういった缶詰が沢山売られていたのだ。夜はテントを張って野宿する。何も無い荒野の真ん中で日が暮れてしまった時は適当な木の下にテントを張ったし、途中の町で野宿する場合はガソリンスタンドに頼み込んで店の敷地の端っこにテントを張らせてもらった。
そんな風にして自転車旅行をスタートしてみたのだが、想像していたのよりも遥かに大変だった。毎日毎日長い距離を走るのが体力的に大変なのはもちろんのこと、精神的に苦しいことが多い。
たとえば、パンク。道のそこらじゅうにトゲトゲした植物の種みたいなものが落ちているのだが、このトゲトゲが猟奇的にトゲトゲなので、気付かぬうちにタイヤで踏んでしまうとたちまちにパンクしてしまう。砂漠の近くというだけあって、猛烈に暑い上に日陰となる木がほとんど無く、パンク修理の作業中もジリジリと体力が消耗してゆく。これが日に3回も起きるとたまらない。小さい子供の頃など、根気のいる作業が自分の思うようにいかないと「もうやだ!」と半ベソで投げ出したくなることが誰しもきっとあったと思うけれど、たまにそんな風に心が折れそうになる。もうずいぶんと長らく忘れていた半ベソの気持ちを、まさか20歳を過ぎてから再び味わうことになるとは思わなかった。
それから、風も大きな敵だった。普通、風というものはその日その日の天候や時間帯によって、いろんな方向から吹いてくると思うのだが、どういうわけか、毎日正確な角度で向かい風なのだ。無風で平らな道を走れば25km/hくらいのスピードが出るところ、6km/hしか出なかったりする。歩いて自転車を押しても4km/hだから、これはどう考えても遅い。「おい、風!」と叫ぶ怒声も、むなしく風に消えてゆく。ちなみに、本気でキレていた。
そんな訳でイライラが積み重なっていた中、決定的に風が強い日があった。まるで台風のような強い風。あまりに強すぎて自転車を漕げない。自転車を止めて風が弱まるのを待つのだが、面白いほどに風はどんどん強くなってくる。しかし、これは全然面白い状況じゃないのだ。もうすぐ暗くなってしまう。治安の良くない地域だったので、ここで野宿をするのは安全ではないと思われた。現地の人間も、皆口を揃えて「夜はとても物騒だから、次の町まで行って、安全な場所で泊まるのよ。」と言っていた。だが、いくら危ないと分かっていても、前に進むことも後ろに戻ることも出来ないのだ。文字通りの進退窮まるというやつだ。もう今日はここで寝るしかないと思われた。しかし、そもそも、風が強すぎてテントは立ちそうになかったが。「くそ、早くしないと暗くな、あっ。」貴重な食料のビスケットが風で飛ばされ、遥か彼方へと消えてゆく。
イライラがビークに達し、プツン、と糸が切れた。
もう、いい。もう、知らねえ。なるように、なれ。
その時だった。通りがかりのピックアップトラックが停まって、中から黒いサングラスをかけた痩せ形の男が出てきた。嫌な予感がした。車はごくごくたまにしか通らない、荒野のど真ん中みたいなところだ。そんな場所で自転車旅行をしている日本人が足止めを食らって、なす術もなく往生しているのだ。見つけたら、拳銃を突きつけて、「金をよこせ。」その一言で十分だろう。格好の標的だ。車を降りてこちらへ向かって来る男。緊張が走った。
「ヘーイ!ヘーイ!ブラザー!!調子はどうだ〜い!?プロブレムは無いか〜い!?ほらほら早く乗れよブラザー!?」
「あー、開き直ったら最高に開き直った奴がきたー。」と思った。アフリカの人は皆だいたい初対面の時からフレンドリーに話しかけてくるが、このおじさんは別格にテンションが高い。そして話が早い。まだこっちが一言も口を聞かないうちから「乗れ!」と言う。そして、第一声ですぐにわかったことだが、どうやら拳銃を突きつけて金を要求するつもりはないようだった。
「え、いいんですか?もしおじさんが迷惑じゃないって言うんな・・・」
「いーから早く自転車を乗せろブラザー!!!イエーイ!!!」
あれよあれよという間に自転車を荷台に乗せられ、状況がよく分からないままに大盛り上がりのおじさんと握手を交わしハグを交わし、おまけに記念撮影も済ませ、気付いたらピックアップトラックの荷台で自転車と一緒に揺られていた。ゆるやかに登ったり下りたりを繰り返す道路は夕日を浴びて優しい色をしていて、もはや美しいと思えるほどで、ついさっきまで自分を苦しめていた道路とはまるで思えなかった。世界の見え方は、ついさっきまでとはまるで変わっていた。
「もっとeasyにいくかあ・・・。」
イライラしたって、仕方ない。焦ったって、力んだって、良いことは無いのだ。パンクも、何回でもすればいいさ。その度、ばっちり直してやる。風も、吹きたいだけ吹けばいい。自転車を押してでも、一歩一歩進んでいくさ。ゆっくりでいいじゃないか。少しずつ、少しずつ、でも確実に。それで大丈夫だ。それが、一番力強いやり方じゃないか。
時速100キロ以上のスピードで、荒野の真ん中、一本道を突っ走るトヨタのピックアップ。
「誰かが道ばたで座り込んで、全てを放り出して、ふて腐れていることがあったら、今度は俺が迎えに行こう。アフリカ、なんて大きいんだ、なんて優しいんだ、なんて美しいんだ・・・。」
荷台で、そんなことを思いながら、強い風にバタバタと音を立てるウインドブレーカーのフードの下で、涙がにじんだ。
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