「Tears In Heaven」
エリック・クラプトンが、息子の死を悼んで作ったことで有名な曲だ。当時4歳半だった彼の息子は、自宅の階段を駆け上がっていたところ、たまたま開けっ放しにされていた窓から誤って転落してしまった。部屋は、アパートの53階だったという。曲の歌詞からは、息子を失った悲しみと、それでも悲しみを乗り越えて生きていかなければという思いが伝わる。
Would you know my name
If I saw you in heaven
Will it be the same
If I saw you in heaven
I must be strong, and carry on
Cause I know I don't belong Here in heaven
もし天国で会ったなら
僕の名前を憶えていてくれるだろうか
もし天国で会ったなら
前と同じようにいられるだろうか
僕は強くならなければいけないね 生き続けなくては
だって僕はわかっているから
自分はまだ天国にいるべき人間ではないってこと
一日中自転車を漕ぎ続けてようやく町に辿りついたころ、日はすでに暮れてしまっていた。朝出発した町から約100キロ。100キロに渡ってただ一軒の人家すらも無い無補給地帯。太陽にじりじりと焼かれるアスファルトの一本道を、何としてもその日のうちに次の町に着くため必死にペダルを漕ぎ続けたから、体はすっかり消耗し、5リットルのペットボトルいっぱいに詰めた飲み水も空っぽになっていた。朝からパンとドライフルーツしか食べられなかったので、しっかりとした食事をとりたかったのだが、食堂もスーパーマーケットも全て閉店してしまっていて、しばらく町を探し回ってやっと見つけた小さな商店で手に入ったのは二つのリンゴとメロン味の炭酸飲料だけだった。それでも渇ききった身体には涙がでそうなほど美味しくて、今日は頑張って良かったなと思えた。
夕食を調達した商店もまもなくシャッターを下すと、町はすっかり夜になった。人々は皆それぞれの家に帰ってしまったようで、外を歩いている者はほとんどいない。オレンジ色の街灯が、黒い町をぼんやりと照らしている。メインの通りから一つ入ると街灯はない。暗くなってから知らない町に着くというのは、得体の知れない店に突然ふらっと入るような感覚がする。どこか遠くで犬が吠える声がした。
この寂しい町の様子では宿も見つかりそうにないし、どうしたものかと困っていたところ、ガソリンスタンドを見つけた。町中で唯一、看板に明かりがついている商業施設だ。まあしかし、一応明かりはついているものの営業を行なっている気配はなく、店員と思しき人間の姿も見当たらない。かつてコンビニエンスストアのような小型店舗が併設されていたようだが、すでに潰れたらしく、店内は空っぽで、真っ暗だった。店舗のそばにはATMがあり、警備のおじさんが一人だけ、ATMの目の前に椅子を置き、本を読んでいた。この町で夜のあいだ仕事をしているのは、このおじさんだけなんじゃないだろうかと思った。おじさんは白人で、ぱっと見た感じ、海賊船の船長のような、荒っぽくて厳めしい風貌をしている。おまけに難しい顔をして読書に集中しているものだから、「ああ、これは断られそうだな」という気がしたけれど、「Excuse me」と声をかけて、今晩ここにテントを張らせて欲しいのですが、と頼んでみた。
するとおじさんはにっこりと笑って、「いいぞ」と言った。もともと並び方が雑な上にところどころ抜け落ちている歯がのぞくと、思ったよりも間抜けな感じがして、これは船長じゃなくて下っ端船員かなと思った。「ほらほら!こっちへ来て腰を下ろせ!自転車で旅してるのか?ええ?どこから?どこまで?話を聞かせてくれよ。あと煙草一本もらっていいか?おお!マルボロか!マルボロは最高の煙草だ!」
その夜、俺とおじさんは、実にいろいろな話をした。
おじさんは61歳。海賊ではなかったけれど、昔は漁師でマグロ漁船に乗っていたらしい。船乗りという点では、第一印象のイメージはそのまま合っていた。漁師時代の仲間には、日本人もいたという。俺の出身地である「Niigata」という単語も知っていた。長年にわたる日焼けの蓄積によって貫禄を召した肌には、深く深く、皺が刻まれていた。話し方も豪快で、よく声を上げて笑う。ことあるごとに「ジーザスクライスト!」と叫ぶので、その度にこっちが笑いそうになる。こちらの英語がそこまで上手ではないと分かると、ゆっくりと聞き取りやすい話し方で話してくれた。俺の知らない単語があると、「うーん、なんて言えばいいんだろうなあ。」という感じで、代わりに他の易しい単語を探してくれる。そんな風に手探りをしながら、その手探りを楽しみながら、夜は更けていく。
失礼な言い方だけれど、品性に欠けるその外見とは裏腹に、おじさんは本や新聞を熱心に読む人だった。自国の政治や経済について、自分なりの解釈を持っているのはもちろんのこと、広島・長崎の原爆被害や、東日本大震災後の原発問題についても、とても強い感心を持っていた。俺も、それらの問題に関して自分の知っていること、思っていることの限りをおじさんに伝えた。おじさんは、もしお金と時間があったなら広島の原爆ドームに一度行ってみたいと言った。それはとても良いね、と俺は言った。
おじさんのATM警備の仕事は時給350円。ナミビアの物価を考えると、これはとても安すぎる収入だ。だからおじさんは複数の仕事をかけ持ちして、朝も昼も夜も忙しく働いているらしい。ひどい時は、寝ずに丸二日働くという。煙草の巻き紙を買うお金がないからと言って、新聞紙を破っては、それで煙草を巻いて吸っていた。まるで呼吸をするような自然さで親切にしてくれ、見返りに金銭を求めることもしなかった。「俺は貧乏だ!ガハハハ!」と笑い飛ばすおじさんは、格好よかった。
音楽の話になった。おじさんはエリック・クラプトンが好きだと言った。
「エリック・クラプトンは最高だ。」
「何が一番好きなの?」
「えーと、なんだっけな。あれはエリックの息子が階段から落ちてさ、」
「ティアーズ・イン・ヘヴン?」
「そうそう!それだ!」
「俺も好きだよ。」
「そうかそうか!ガハハハ!」
その夜は、おじさんが椅子に座って本を読んでいるとなりにテントを張った。テントに入ってイヤフォンをすると、一日の疲れがどっと押し寄せて来て、あっという間に眠りに落ちてしまった。「ティアーズ・イン・ヘヴン」を聴くのはずいぶん久しぶりのような気がした。
翌朝早く、まだ薄明かりの頃、おじさんが起こしに来た。
「おい、起きろ朝だ!今仕事が終わったから、俺んちにこい!コーヒー飲むか?」
眠い目をこすりながら、正直もう少し眠っていたかったのにと思いながら、テントをたたんで荷物を自転車にくくりつけた。
おじさんの家は、プレハブ小屋のように粗末な造りで、6畳か7畳ほどしかなかった。部屋の奥にはシングルサイズのベッドが一つだけ置かれていて、そこで奥さんが眠っていた。
「ただいま!帰って来たぞ!日本人の友達を連れてきた!」
そう言って奥さんを起こすと、飲料水を貯めておくタンクから水をとって、お湯を沸かした。起きたばかりの奥さんはベッドに腰を下ろして、寝癖でぼさぼさの頭をかきながら、一方的に元気なテンションのおじさんの話に「うん、うん」といかにも眠そうな相づちを打っている。そこへ二匹の子犬たちがやってきて、ぐるぐる部屋の中を歩き回った。「こいつらは俺のベイビーだ!ガハハハ!」俺はまだぼんやりとした頭で、この部屋で元気なのはおじさんと犬だけだなと思った。
お湯が沸くと、おじさんはインスタントコーヒーを作ってくれた。砂糖がたっぷり入っていて、熱くて、甘かった。それをすすっていると、とてもあたたかい気持ちになった。すこし目がさめた。
ふと、写真が目に入った。窓際に置かれた、四角形の小さな写真立ての中で、4歳か5歳くらいの子供が笑っている。ずいぶん古い写真みたいだけど、誰だろう?歳を考えると孫だけど、そういえば子供がいるって話は聞いてないなあ。
「あっ」と思った。
はっきりと、写真について尋ねることはしなかった。もちろん、本当のことはわからない。でも、その写真が、殺風景なおじさんの部屋の片隅で、うまくその空間に馴染めていないように見えた。写真の中に切り取られた世界と、この部屋の間には、何か埋められないギャップが存在していた。その茫漠とした隔たりの底には、決して越えることの出来ない、一本の深い溝がはっきりと横たわっている。根拠のない直感だけれど、俺は強烈にそれを感じた。
どういうわけか、おじさんが俺と話す時の目には、ある種の特殊な想いがこもっていたような気がする。
おじさんは、この小さな町の小さな部屋で、二匹の子犬に食事を与え、妻とシングルベッドで眠り、コーヒーを沸かし、歯を磨く。夜中のガソリンスタンド脇で椅子に腰掛け、本を読み、煙草をふかして、ときどきやってくる酔っぱらいを追い払う。ときどき昔のことを思い出して、ときどき未来のことを考える。そして「ティアーズ・イン・ヘヴン」を聴く。そんな風にして、昨日までも、そして今日からもずっと繰り返されていくおじさんの日常に、その日常のフィルターを通して何かを見つめるおじさんの眼差しに、俺は紛れもなく『出逢った』のだ。
「ありがとう。いろいろお世話になりました。身体に気をつけて、お仕事頑張ってね。」
おじさんにさようならを言って、ペダルを漕ぎだした。
次の町も、ずっと遠くにある。
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