2013年6月26日水曜日

男は国境を越える

マラウイ共和国の首都、リロングウェ。

朝、目がさめて、一瞬、ひどく非現実的な気分になった。

「ここはどこだっけ。」

旅に出てからもう二ヶ月がたつというのに、毎朝毎朝違った天井を見つめて、あい変わらず同じことを考える。一晩250円のベッドを抜け出すと、一気に身体が重くなった気がする。身体がだるい。機嫌も悪い。どうして僕は今機嫌が悪いのだろうか、と、不機嫌な頭であれこれ考えながら外へ出る。もう10時を過ぎた日差しが、うんざりするほど眩しい。暑い。

「あー、思い出した。昨日は遅くまでアイツと・・・。」

体調がすぐれない理由を思い出すと、ますます気分が沈んできた。昨日の夜、僕は「アイツ」と安ワインを飲んで煙草をバカバカふかしながら、例のごとく世にも不毛な下らぬ議論に延々と管を巻いていたのだ。

昨晩の議題はこうだ。
「自分の結婚式にはどのレベルの親しさの友人までを呼ぶか。ならびに、それぞれの場合における良い所と悪い所について。」

アイツ、というのは井口明という男のことで、僕が五ヶ月間にわたる旅の大半を共に過ごした人間だ。ケニアの古着市で購入した汚らしいツナギを好んで着用し、「これ一回も洗濯してないんだぜ」と、まるでそれが自分の努力の結果であるかのように、あろうことか嬉々として自慢してくる怪人だ。僕がワールド・スタンダードであるマルボロの上品な風味を好んで吸うのに対して、この男には味へのこだわりというものが無いのだろうか、徹底して一番安い銘柄を選び、「まずいまずい」と言いながら日に二箱を消費する。かと思えばマヨネーズを毛嫌いする偏食家で、ありとあらゆる体育会系アクティビティを避けて生きてきたインドア派で、彼女もいないのだ。

僕らが交わした議論のジャンルは実に多岐に渡り、深い内容のものから取るに足らぬ薄っぺらなものまで様々だった。が、原則としては、「現状への不平不満。それが誰のせいであるか。仮にあるならば、自分自身に求められる原因は何か。そして、その点で少なくとも自分が相手よりはマシであるという主張。」といったものであった。



とりあえずは、全身にまとわりついた不愉快な倦怠感をさっぱりと洗い流す必要がある。シャワーを浴びて、軽くストレッチをしてから、食堂に入り、チャイを注文した。大きなマグカップに注がれたチャイには香辛料がたっぷりと効いていて、半分も飲み干すと気分もだいぶすっきりしてきた。

するとそこへ、「おっくう」の限りを全身で引きずりながら奴がやってきた。奴は僕の隣に腰を下ろすと、「おはよう」という意味の低いうなり声を投げやりに短く上げ、いかにも大儀そうに煙草に火をつけると、しまりのない口から煙を吐き出した。それを眺めていると、僕はまた身体がだるくなってくる気がした。



夕方、僕らは国境を越える車に乗った。一人で座る分には少し余裕のある、広めの助手席に二人で座らされた。窓側に座った僕は、身体の左側を車のドアに、右側を井口明にぴったりと密着した状態で挟まれた。後部座席に座っている現地の人たちも、だいたいそんな風にして身体を寄せ合い窮屈そうにしている。

日本にいた頃は、隣に座る知らない人と膝が触れ合うだけで何となく気になってしまうものだったが、今ではすっかり満員乗車にも慣れた。シートが固くて尻が痛かろうが、となりに座った人の体臭が多少きつかろうが、クーラーが壊れていて多少暑すぎようが、「そういうもんだ」という意識が自分の中に定着していた。

旅を続けていくうちに、それまで自分の中でNGだったことがどんどんOKに変わっていく。あらゆることに対して無意識のうちに引いていたボーダーラインが、どんどん下がってゆく。それは大抵、思っていたよりも心地良いことで、時にはそんな自分を少し誇らしく思ったりもする。こういうのは、旅人特有のナルシズムであると同時に、人間の本来的な悦びでもある、と、思う。それが少しぐらいキツかったり、辛かったりしても、だ。



出発前、車は、ずいぶん長い間停車した。

僕らの間に昨晩のような議論が巻き起こるのは、大抵二人ともが酒に酔っているときだ。しらふの時に議論の「テーマ」を思いつくこともたまにあるのだが、すぐ口には出さずに、その日の晩にとっておく。要するに、「こんな下らないことを、しらふでお前なんかと語り合って一体どうするのだ?」という訳だ。だから、窮屈に詰め込まれた車の中で発車を待っているあいだも、車が走り出してからのガタガタという振動に揺られているあいだも、特に僕らのあいだに会話が盛り上がることはなかった。まあ、それでいい。いつもそんな感じだ。

しかし、それにしても今日は少し大人しい。その訳は、車にあった。

アフリカの車というものは、ときどき謎めいた壊れ方をしている。この日の場合は、僕の隣に座っている彼の場所にだけ、背もたれが無かった。一応、一人分の座席に二人で座っていたのだが、僕の背もたれはあって、彼の背もたれは壊れていた。そういう壊れ方をしていることが、たまにある。アフリカの車においては、全ての乗客におしなべて均等に背もたれが用意されているとは限らないのだ。

彼は「俺んとこ背もたれねえじゃねえかよー。」と、あくまでさりげなく、ぶつぶつと小言を漏らしながら、何時間も悪路に揺られた。これが思っていた以上の悪路で、彼は、その予想以上の悪路に、背もたれの無い座席で、何時間も、何時間も、揺られた。

『こういうのは、旅人特有のナルシズムであると同時に、人間の本来的な悦びでもあると、思う。』
『それが少しぐらいキツかったり、辛かったりしても、だ。』

僕は、彼が「席を変わってくれ」などと言い出す前に、寝たふりをした。



旅人のプライド。
粋な優しさ。

対岸の火事。
男の意地。

硬派な暗黙。
軟派な了解。

寝る僕。
寝れない彼。



その夜遅く、ちっぽけな男が二人、でっかいザンビア共和国への国境を越えた。



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2013年5月14日火曜日

ティアーズ・イン・ヘヴン

「Tears In Heaven」
エリック・クラプトンが、息子の死を悼んで作ったことで有名な曲だ。当時4歳半だった彼の息子は、自宅の階段を駆け上がっていたところ、たまたま開けっ放しにされていた窓から誤って転落してしまった。部屋は、アパートの53階だったという。曲の歌詞からは、息子を失った悲しみと、それでも悲しみを乗り越えて生きていかなければという思いが伝わる。

Would you know my name
If I saw you in heaven
Will it be the same
If I saw you in heaven
I must be strong, and carry on
Cause I know I don't belong Here in heaven

もし天国で会ったなら
僕の名前を憶えていてくれるだろうか
もし天国で会ったなら
前と同じようにいられるだろうか
僕は強くならなければいけないね 生き続けなくては
だって僕はわかっているから
自分はまだ天国にいるべき人間ではないってこと




一日中自転車を漕ぎ続けてようやく町に辿りついたころ、日はすでに暮れてしまっていた。朝出発した町から約100キロ。100キロに渡ってただ一軒の人家すらも無い無補給地帯。太陽にじりじりと焼かれるアスファルトの一本道を、何としてもその日のうちに次の町に着くため必死にペダルを漕ぎ続けたから、体はすっかり消耗し、5リットルのペットボトルいっぱいに詰めた飲み水も空っぽになっていた。朝からパンとドライフルーツしか食べられなかったので、しっかりとした食事をとりたかったのだが、食堂もスーパーマーケットも全て閉店してしまっていて、しばらく町を探し回ってやっと見つけた小さな商店で手に入ったのは二つのリンゴとメロン味の炭酸飲料だけだった。それでも渇ききった身体には涙がでそうなほど美味しくて、今日は頑張って良かったなと思えた。

夕食を調達した商店もまもなくシャッターを下すと、町はすっかり夜になった。人々は皆それぞれの家に帰ってしまったようで、外を歩いている者はほとんどいない。オレンジ色の街灯が、黒い町をぼんやりと照らしている。メインの通りから一つ入ると街灯はない。暗くなってから知らない町に着くというのは、得体の知れない店に突然ふらっと入るような感覚がする。どこか遠くで犬が吠える声がした。

この寂しい町の様子では宿も見つかりそうにないし、どうしたものかと困っていたところ、ガソリンスタンドを見つけた。町中で唯一、看板に明かりがついている商業施設だ。まあしかし、一応明かりはついているものの営業を行なっている気配はなく、店員と思しき人間の姿も見当たらない。かつてコンビニエンスストアのような小型店舗が併設されていたようだが、すでに潰れたらしく、店内は空っぽで、真っ暗だった。店舗のそばにはATMがあり、警備のおじさんが一人だけ、ATMの目の前に椅子を置き、本を読んでいた。この町で夜のあいだ仕事をしているのは、このおじさんだけなんじゃないだろうかと思った。おじさんは白人で、ぱっと見た感じ、海賊船の船長のような、荒っぽくて厳めしい風貌をしている。おまけに難しい顔をして読書に集中しているものだから、「ああ、これは断られそうだな」という気がしたけれど、「Excuse me」と声をかけて、今晩ここにテントを張らせて欲しいのですが、と頼んでみた。

するとおじさんはにっこりと笑って、「いいぞ」と言った。もともと並び方が雑な上にところどころ抜け落ちている歯がのぞくと、思ったよりも間抜けな感じがして、これは船長じゃなくて下っ端船員かなと思った。「ほらほら!こっちへ来て腰を下ろせ!自転車で旅してるのか?ええ?どこから?どこまで?話を聞かせてくれよ。あと煙草一本もらっていいか?おお!マルボロか!マルボロは最高の煙草だ!」

その夜、俺とおじさんは、実にいろいろな話をした。

おじさんは61歳。海賊ではなかったけれど、昔は漁師でマグロ漁船に乗っていたらしい。船乗りという点では、第一印象のイメージはそのまま合っていた。漁師時代の仲間には、日本人もいたという。俺の出身地である「Niigata」という単語も知っていた。長年にわたる日焼けの蓄積によって貫禄を召した肌には、深く深く、皺が刻まれていた。話し方も豪快で、よく声を上げて笑う。ことあるごとに「ジーザスクライスト!」と叫ぶので、その度にこっちが笑いそうになる。こちらの英語がそこまで上手ではないと分かると、ゆっくりと聞き取りやすい話し方で話してくれた。俺の知らない単語があると、「うーん、なんて言えばいいんだろうなあ。」という感じで、代わりに他の易しい単語を探してくれる。そんな風に手探りをしながら、その手探りを楽しみながら、夜は更けていく。

失礼な言い方だけれど、品性に欠けるその外見とは裏腹に、おじさんは本や新聞を熱心に読む人だった。自国の政治や経済について、自分なりの解釈を持っているのはもちろんのこと、広島・長崎の原爆被害や、東日本大震災後の原発問題についても、とても強い感心を持っていた。俺も、それらの問題に関して自分の知っていること、思っていることの限りをおじさんに伝えた。おじさんは、もしお金と時間があったなら広島の原爆ドームに一度行ってみたいと言った。それはとても良いね、と俺は言った。

おじさんのATM警備の仕事は時給350円。ナミビアの物価を考えると、これはとても安すぎる収入だ。だからおじさんは複数の仕事をかけ持ちして、朝も昼も夜も忙しく働いているらしい。ひどい時は、寝ずに丸二日働くという。煙草の巻き紙を買うお金がないからと言って、新聞紙を破っては、それで煙草を巻いて吸っていた。まるで呼吸をするような自然さで親切にしてくれ、見返りに金銭を求めることもしなかった。「俺は貧乏だ!ガハハハ!」と笑い飛ばすおじさんは、格好よかった。

音楽の話になった。おじさんはエリック・クラプトンが好きだと言った。
「エリック・クラプトンは最高だ。」
「何が一番好きなの?」
「えーと、なんだっけな。あれはエリックの息子が階段から落ちてさ、」
「ティアーズ・イン・ヘヴン?」
「そうそう!それだ!」
「俺も好きだよ。」
「そうかそうか!ガハハハ!」

その夜は、おじさんが椅子に座って本を読んでいるとなりにテントを張った。テントに入ってイヤフォンをすると、一日の疲れがどっと押し寄せて来て、あっという間に眠りに落ちてしまった。「ティアーズ・イン・ヘヴン」を聴くのはずいぶん久しぶりのような気がした。

翌朝早く、まだ薄明かりの頃、おじさんが起こしに来た。
「おい、起きろ朝だ!今仕事が終わったから、俺んちにこい!コーヒー飲むか?」
眠い目をこすりながら、正直もう少し眠っていたかったのにと思いながら、テントをたたんで荷物を自転車にくくりつけた。

おじさんの家は、プレハブ小屋のように粗末な造りで、6畳か7畳ほどしかなかった。部屋の奥にはシングルサイズのベッドが一つだけ置かれていて、そこで奥さんが眠っていた。

「ただいま!帰って来たぞ!日本人の友達を連れてきた!」

そう言って奥さんを起こすと、飲料水を貯めておくタンクから水をとって、お湯を沸かした。起きたばかりの奥さんはベッドに腰を下ろして、寝癖でぼさぼさの頭をかきながら、一方的に元気なテンションのおじさんの話に「うん、うん」といかにも眠そうな相づちを打っている。そこへ二匹の子犬たちがやってきて、ぐるぐる部屋の中を歩き回った。「こいつらは俺のベイビーだ!ガハハハ!」俺はまだぼんやりとした頭で、この部屋で元気なのはおじさんと犬だけだなと思った。

お湯が沸くと、おじさんはインスタントコーヒーを作ってくれた。砂糖がたっぷり入っていて、熱くて、甘かった。それをすすっていると、とてもあたたかい気持ちになった。すこし目がさめた。

ふと、写真が目に入った。窓際に置かれた、四角形の小さな写真立ての中で、4歳か5歳くらいの子供が笑っている。ずいぶん古い写真みたいだけど、誰だろう?歳を考えると孫だけど、そういえば子供がいるって話は聞いてないなあ。

「あっ」と思った。

はっきりと、写真について尋ねることはしなかった。もちろん、本当のことはわからない。でも、その写真が、殺風景なおじさんの部屋の片隅で、うまくその空間に馴染めていないように見えた。写真の中に切り取られた世界と、この部屋の間には、何か埋められないギャップが存在していた。その茫漠とした隔たりの底には、決して越えることの出来ない、一本の深い溝がはっきりと横たわっている。根拠のない直感だけれど、俺は強烈にそれを感じた。

どういうわけか、おじさんが俺と話す時の目には、ある種の特殊な想いがこもっていたような気がする。

おじさんは、この小さな町の小さな部屋で、二匹の子犬に食事を与え、妻とシングルベッドで眠り、コーヒーを沸かし、歯を磨く。夜中のガソリンスタンド脇で椅子に腰掛け、本を読み、煙草をふかして、ときどきやってくる酔っぱらいを追い払う。ときどき昔のことを思い出して、ときどき未来のことを考える。そして「ティアーズ・イン・ヘヴン」を聴く。そんな風にして、昨日までも、そして今日からもずっと繰り返されていくおじさんの日常に、その日常のフィルターを通して何かを見つめるおじさんの眼差しに、俺は紛れもなく『出逢った』のだ。

「ありがとう。いろいろお世話になりました。身体に気をつけて、お仕事頑張ってね。」

おじさんにさようならを言って、ペダルを漕ぎだした。 次の町も、ずっと遠くにある。



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2013年3月18日月曜日

荒野で

アフリカ大陸の左下のほうに、ナミブ砂漠がある。世界一美しい砂漠と言われているらしい。その近くを、2週間くらい自転車を漕いで旅していた。(正確に言うと、ナミビア・ウィンドフック〜南アフリカ・ケープタウン間。)

マウンテンバイクを買ってきて、荷物を全部乗せる。それから食料と水も乗せる。重さを計ってないので正確に何キロか分からないが、もちろん自転車としてはかなり重かった。食事は主にパン。食パンだったり、フランスパンに似た食感の丸いパンだったり、ホットドッグ用のコッペパンだったり。さすがにそれだけでは味気ないので、缶詰も幾つか持った。豆をトマトで煮込んだものだとか、カレー味の野菜スープだとか、そういった缶詰が沢山売られていたのだ。夜はテントを張って野宿する。何も無い荒野の真ん中で日が暮れてしまった時は適当な木の下にテントを張ったし、途中の町で野宿する場合はガソリンスタンドに頼み込んで店の敷地の端っこにテントを張らせてもらった。

そんな風にして自転車旅行をスタートしてみたのだが、想像していたのよりも遥かに大変だった。毎日毎日長い距離を走るのが体力的に大変なのはもちろんのこと、精神的に苦しいことが多い。

たとえば、パンク。道のそこらじゅうにトゲトゲした植物の種みたいなものが落ちているのだが、このトゲトゲが猟奇的にトゲトゲなので、気付かぬうちにタイヤで踏んでしまうとたちまちにパンクしてしまう。砂漠の近くというだけあって、猛烈に暑い上に日陰となる木がほとんど無く、パンク修理の作業中もジリジリと体力が消耗してゆく。これが日に3回も起きるとたまらない。小さい子供の頃など、根気のいる作業が自分の思うようにいかないと「もうやだ!」と半ベソで投げ出したくなることが誰しもきっとあったと思うけれど、たまにそんな風に心が折れそうになる。もうずいぶんと長らく忘れていた半ベソの気持ちを、まさか20歳を過ぎてから再び味わうことになるとは思わなかった。

それから、風も大きな敵だった。普通、風というものはその日その日の天候や時間帯によって、いろんな方向から吹いてくると思うのだが、どういうわけか、毎日正確な角度で向かい風なのだ。無風で平らな道を走れば25km/hくらいのスピードが出るところ、6km/hしか出なかったりする。歩いて自転車を押しても4km/hだから、これはどう考えても遅い。「おい、風!」と叫ぶ怒声も、むなしく風に消えてゆく。ちなみに、本気でキレていた。

そんな訳でイライラが積み重なっていた中、決定的に風が強い日があった。まるで台風のような強い風。あまりに強すぎて自転車を漕げない。自転車を止めて風が弱まるのを待つのだが、面白いほどに風はどんどん強くなってくる。しかし、これは全然面白い状況じゃないのだ。もうすぐ暗くなってしまう。治安の良くない地域だったので、ここで野宿をするのは安全ではないと思われた。現地の人間も、皆口を揃えて「夜はとても物騒だから、次の町まで行って、安全な場所で泊まるのよ。」と言っていた。だが、いくら危ないと分かっていても、前に進むことも後ろに戻ることも出来ないのだ。文字通りの進退窮まるというやつだ。もう今日はここで寝るしかないと思われた。しかし、そもそも、風が強すぎてテントは立ちそうになかったが。「くそ、早くしないと暗くな、あっ。」貴重な食料のビスケットが風で飛ばされ、遥か彼方へと消えてゆく。


イライラがビークに達し、プツン、と糸が切れた。
もう、いい。もう、知らねえ。なるように、なれ。


その時だった。通りがかりのピックアップトラックが停まって、中から黒いサングラスをかけた痩せ形の男が出てきた。嫌な予感がした。車はごくごくたまにしか通らない、荒野のど真ん中みたいなところだ。そんな場所で自転車旅行をしている日本人が足止めを食らって、なす術もなく往生しているのだ。見つけたら、拳銃を突きつけて、「金をよこせ。」その一言で十分だろう。格好の標的だ。車を降りてこちらへ向かって来る男。緊張が走った。


「ヘーイ!ヘーイ!ブラザー!!調子はどうだ〜い!?プロブレムは無いか〜い!?ほらほら早く乗れよブラザー!?」

「あー、開き直ったら最高に開き直った奴がきたー。」と思った。アフリカの人は皆だいたい初対面の時からフレンドリーに話しかけてくるが、このおじさんは別格にテンションが高い。そして話が早い。まだこっちが一言も口を聞かないうちから「乗れ!」と言う。そして、第一声ですぐにわかったことだが、どうやら拳銃を突きつけて金を要求するつもりはないようだった。

「え、いいんですか?もしおじさんが迷惑じゃないって言うんな・・・」
「いーから早く自転車を乗せろブラザー!!!イエーイ!!!」

あれよあれよという間に自転車を荷台に乗せられ、状況がよく分からないままに大盛り上がりのおじさんと握手を交わしハグを交わし、おまけに記念撮影も済ませ、気付いたらピックアップトラックの荷台で自転車と一緒に揺られていた。ゆるやかに登ったり下りたりを繰り返す道路は夕日を浴びて優しい色をしていて、もはや美しいと思えるほどで、ついさっきまで自分を苦しめていた道路とはまるで思えなかった。世界の見え方は、ついさっきまでとはまるで変わっていた。



「もっとeasyにいくかあ・・・。」

イライラしたって、仕方ない。焦ったって、力んだって、良いことは無いのだ。パンクも、何回でもすればいいさ。その度、ばっちり直してやる。風も、吹きたいだけ吹けばいい。自転車を押してでも、一歩一歩進んでいくさ。ゆっくりでいいじゃないか。少しずつ、少しずつ、でも確実に。それで大丈夫だ。それが、一番力強いやり方じゃないか。

時速100キロ以上のスピードで、荒野の真ん中、一本道を突っ走るトヨタのピックアップ。

「誰かが道ばたで座り込んで、全てを放り出して、ふて腐れていることがあったら、今度は俺が迎えに行こう。アフリカ、なんて大きいんだ、なんて優しいんだ、なんて美しいんだ・・・。」

荷台で、そんなことを思いながら、強い風にバタバタと音を立てるウインドブレーカーのフードの下で、涙がにじんだ。



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日々を営む悦び

The things you own end up owing you.
(お前、結局は自分の所有物に支配されてるぜ。)

これは、僕の好きな映画に登場するお気に入りのフレーズだ。欲望が消費を呼び、消費が更なる消費を加速させている現代の日本。意識せずとも、物質至上主義は人々の心理の隅々にまで浸透している。

海外セレブリティーを広告塔に起用した下着を身に着け、それを全自動化された洗濯機に放り込む。「体に良い」と謳われたサプリメントがあれば皆が喜んで飛びつくが、吉野家の牛肉がどういった屠殺過程を経て目の前の丼に盛りつけられているかは殆どの人が知らない。ネット通販でお洒落なインテリア家具を物色し、最新のヒット曲をワンクリックでダウンロードする。

世の中をより住み良くすべく築き上げられてきたシステム、技術、生活文化。その恩恵にあずかる時代の人間として、先人達に対する感謝と尊敬の気持ちは忘れてはならない。しかし、この日常の物質至上主義は果たして本当に自分の心にフィットしているのだろうか。社会全体が今後かくあるべき姿、などという意味で語るにはあまりにスケールが大きい話だが、僕個人のこれからの生き方・ライフスタイルを検討していくにあたっては大変に重要な視点だと思っている。

この視点は今回のギャップイヤーでケニア、タンザニア、マラウイなどアフリカ大陸を旅した経験から獲得したものであり、僕の中で新しい発見であった。そしてそれは、今までと同じように日本に住んで大学に通う生活、言わば「普通の日常」に暮らしていても気付くことのなかった発見であると確信している。

アフリカでの生活は、物質至上主義的に言って実にレベルの低いものであった。市場へ出かけて行き、栄養不十分に育ったと思われる形の悪い野菜を買ってくる。それから自分で集めてきた薪木で火を起こし、食事を作る。どの種類の木が薪木に適しているのかをあれこれと試し、最も効率的な火の起こし方を自然と覚えた程だ。海があればウニを拾って来て食べたし、湖があれば竹竿で魚を釣って食べた。洗濯機は無いから、汚れた服はいつも手で洗う。煙草は自分で巻くし、髪の毛は自分で切る。シャワーは水。寒い日でもお湯は出ない。インターネット環境も無いわけではないけれど、使う頻度は稀だったし、家族へのメール等、必要最小限の利用だった。

しかしそんな生活を続けているうちに、自分の内面にじわじわと芽生えてくる感情を覚えた。「日々を営む悦び」とでも言おうか、毎日を生きてゆくための行為一つ一つ全てが悦ばしいものに思えてきたのだ。「喜び」よりも「悦び」という表現の方がぴったり合っていると思う。精神的により深い「よろこび」だ。「ああ、生きている」という安らぎが心を満たし、日本にいた頃は折にふれて頭をもたげてきた「何か今ひとつ満たされない」欲求はすっかり消え失せた。しばしば「モノが無くても幸せ」などという類の文句を目に耳にするけれど、「モノが無いから幸せ」ということもあるのだなと思った。

物質至上主義社会に生きる人々は、日々繰り返される消費生活によってこの「悦び」を麻痺させられている。高価なブランド物に身を包む喜びも、テクノロジーに囲まれて生活をスマートにスピードアップさせる喜びも、フェイクだ。消費者は、それと気付かぬうちに「消費者的ライフスタイル」に騙され、すかされ、縛られている。ほとんど強迫観念的と言えるかもしれないこの束縛から少しだけ自由になれた気がする今、日本に帰ってからの自分のライフスタイルを一度真剣に考え直そうと思う。その必要性すら感じている。

"I trip to search something and go back home to find it."
(私は何かを探しに旅に出て、家に帰ってそれを見つけるのだ)

アフリカの安宿に泊まった時、部屋の壁に見つけた落書きだ。日本に帰ってからの生活の中で「日々を営む悦び」を発見してゆくことがこの旅の最終目的であると思っているし、それが今から楽しみで仕方ない。本当の意味で、豊かな人生。アフリカでの旅は、そのきっかけを与えてくれた。

スキルアップの為、将来のキャリアのため。ギャップイヤーを選択する人は明確な目的・ビジョンを持っていることが多いと思う。しかし僕は、そうでない人たちにも是非ギャップイヤーをおすすめしたい。日本とはまるで違った環境に身を置いて「search something」する、ただそれだけのことを目的にギャップイヤーを選択してみるのもありだと思う。間違いなく「ただそれだけのこと」では終わらない。この広い世界には、生き方そのものを根本から考え直させられるような経験がたくさん待っている。

http://japangap.jp/essay/2013/01/post-41.html


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