9月4日の話。
ケニア・ナイロビの宿に滞在していた。
敷地内のテントサイトに、現地で買った1人用テントを張り、そこで寝泊まりする。宿泊費は一泊500円ちょっと。宿に泊まる他の日本人とも仲良くなった。毎晩ビールを飲みながら1箱80円の煙草を吸って、アホな会話に腹を抱えて笑う、気ままな毎日だ。
そんなケニアでの生活に別れを告げて、キリマンジャロが待つタンザニアへの移動を明日に控えた、ある日の夕方のこと。宿のレセプションの辺りをフラフラしていると、たくさんの荷物をくくり付けた自転車に乗った一人の男がやって来た。
彼の名前はケンタさん。ひどく汚れた服に、長く伸びたあご髭。飾った所は一切見受けられない。唯一、腕に入った和彫りが印象的な、いかにも旅人という風貌の人だ。ケニア山に登ってきた帰りだと言う。夕飯の時間、登山の話を聞かせてくれた。
登山最終日、いわゆる頂上へのアタックの日は、夜中にキャンプを出発して登る。頂上から日の出を見るためだ。その時に見た星空が、とても感動的だったと話してくれた。
「すごく寒いんだけど、星空が本当に綺麗でさ。そこへ流れ星が一本すーっと流れたとき、思わず泣いちゃったよね。僕、アフリカへ来てから初めて泣いたよ。」
彼の話し方、表情、今まで会ったどの人よりも優しいと思った。ケニア山それ自体のみならず、彼の話がとにかく魅力的だった。
「ああ、幸せだなって感じると、次に来るのは感謝なんだよね。こうして旅してるのを応援してくれてる人に。ありがとうって。」
もう、頭の中はケニア山でいっぱいだった。
ケニア山について、「キリマンジャロに次いでアフリカ大陸で二番目に標高が高い」という以外の情報は何も知らなかったが、登らずにはいられなくなってしまった。翌日タンザニアへと共に発つ予定だった仲間達には「わりィ、俺ケニア山登ってくるわ~。」と一言。
食パンを二斤(片方はカビ生えてて食べられなかった。)、ビスケットを二箱、ハチミツを一本、インスタントラーメンを五個。それから水と着替えと寝袋をバックパックに詰め込んで、ケニア山麓の街・ナロモルへと向かうマタトゥ(乗り合いのバスのような交通手段。車種はだいたいハイエース。)に乗り込んだ。
世界遺産・ケニア山国立公園の入山料$220だけを支払い、ガイドやポーター(荷物を持って登ってくれる人のこと。)は雇わず。質素な食事にテント四泊の行程。酸素が薄くなり始める4000m台、毎日決まって昼過ぎから降り始める雨とアラレ、「川下りか」とツッコミたくなる湿地帯での下山、雪と氷に覆われた頂上付近の岩場・・・。危険でこそなかったけれど、体力的・精神的にハードな道のりを超えた先にあった景色は最高だった。
そして何より強く感じたのは感謝だった。
ハードな道のりを越えて行ける健康な身体は、両親をはじめ多くの人たちの支えがあってこその宝物だ。誇りだ。自分はもっともっとハードな道を越えて行ける。その先にある最高の風景を見るために、今この瞬間を強く厳しく感謝に生きようと思った。鋭い稜線の向こうに輝く夜空の月のように。
写真撮影は、ナイロビの宿で出逢い一緒にケニア山に登ってくれたバックパッカーのトモさん。一人じゃきっと登れなかった。本当に感謝。ありがとうございます。
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