2012年9月24日月曜日

ケニア山(4985m)

9月4日の話。
ケニア・ナイロビの宿に滞在していた。 敷地内のテントサイトに、現地で買った1人用テントを張り、そこで寝泊まりする。宿泊費は一泊500円ちょっと。宿に泊まる他の日本人とも仲良くなった。毎晩ビールを飲みながら1箱80円の煙草を吸って、アホな会話に腹を抱えて笑う、気ままな毎日だ。

そんなケニアでの生活に別れを告げて、キリマンジャロが待つタンザニアへの移動を明日に控えた、ある日の夕方のこと。宿のレセプションの辺りをフラフラしていると、たくさんの荷物をくくり付けた自転車に乗った一人の男がやって来た。 彼の名前はケンタさん。ひどく汚れた服に、長く伸びたあご髭。飾った所は一切見受けられない。唯一、腕に入った和彫りが印象的な、いかにも旅人という風貌の人だ。ケニア山に登ってきた帰りだと言う。夕飯の時間、登山の話を聞かせてくれた。

登山最終日、いわゆる頂上へのアタックの日は、夜中にキャンプを出発して登る。頂上から日の出を見るためだ。その時に見た星空が、とても感動的だったと話してくれた。
「すごく寒いんだけど、星空が本当に綺麗でさ。そこへ流れ星が一本すーっと流れたとき、思わず泣いちゃったよね。僕、アフリカへ来てから初めて泣いたよ。」
彼の話し方、表情、今まで会ったどの人よりも優しいと思った。ケニア山それ自体のみならず、彼の話がとにかく魅力的だった。
「ああ、幸せだなって感じると、次に来るのは感謝なんだよね。こうして旅してるのを応援してくれてる人に。ありがとうって。」

もう、頭の中はケニア山でいっぱいだった。
ケニア山について、「キリマンジャロに次いでアフリカ大陸で二番目に標高が高い」という以外の情報は何も知らなかったが、登らずにはいられなくなってしまった。翌日タンザニアへと共に発つ予定だった仲間達には「わりィ、俺ケニア山登ってくるわ~。」と一言。

食パンを二斤(片方はカビ生えてて食べられなかった。)、ビスケットを二箱、ハチミツを一本、インスタントラーメンを五個。それから水と着替えと寝袋をバックパックに詰め込んで、ケニア山麓の街・ナロモルへと向かうマタトゥ(乗り合いのバスのような交通手段。車種はだいたいハイエース。)に乗り込んだ。

世界遺産・ケニア山国立公園の入山料$220だけを支払い、ガイドやポーター(荷物を持って登ってくれる人のこと。)は雇わず。質素な食事にテント四泊の行程。酸素が薄くなり始める4000m台、毎日決まって昼過ぎから降り始める雨とアラレ、「川下りか」とツッコミたくなる湿地帯での下山、雪と氷に覆われた頂上付近の岩場・・・。危険でこそなかったけれど、体力的・精神的にハードな道のりを超えた先にあった景色は最高だった。

そして何より強く感じたのは感謝だった。
ハードな道のりを越えて行ける健康な身体は、両親をはじめ多くの人たちの支えがあってこその宝物だ。誇りだ。自分はもっともっとハードな道を越えて行ける。その先にある最高の風景を見るために、今この瞬間を強く厳しく感謝に生きようと思った。鋭い稜線の向こうに輝く夜空の月のように。


写真撮影は、ナイロビの宿で出逢い一緒にケニア山に登ってくれたバックパッカーのトモさん。一人じゃきっと登れなかった。本当に感謝。ありがとうございます。



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2012年7月4日水曜日

ガソリンスタンド

ガソリンスタンドでバイトしている。

車通りもさほど多くない片側1車線の道路沿いにあるスタンドで、俺は客を待つ。
バイトを始めてわかったが、スタンドでは「客を待つこと」が大切な仕事なのだ。
通りの車がウインカーを出して速度を落としたら、給油口のついている位置を確認して誘導する。
この誘導をスムーズに行うため、絶えず道路に意識を配りながら「待っている」のだ。
積極的待機である。アクティブスタンバイである。まあどうでもいい。

問題は、客が全然来ないことだ。

ひどい時は1時間に1台しか来ない。
「やーめりゃいいんだよぉこんなのぉー」
ぶつぶつ独り言で文句を垂れながら額の汗を拭う。
右から車が走って来ては左へと走り去ってゆき、左から車が走って来ては右へと走り去ってゆく。
ナンバーの上2ケタと下2ケタの差を暗算して暇つぶしを試みるが、
そもそも正解したのかどうかが自分ではわからないのですぐにやめた。


仮に客が来たとしよう。

「いらっしゃいませ」
「レギュラー、満タン、現金」
「かしこまりました」

客に言われた通り「レギュラー」のボタンを押して給油ノズルを車に突っ込む。
程なくして給油は終わり、機械は勝手に止まる。
給油ノズルを車から抜いて、客から現金を受け取る。

そして俺は「セルフいけやボケー!!」と心の中で叫びながら、
「ありがとうございましたー!!」と最高の態度でお客様をお見送りするのだ。


「油を売っている場合ではない」とは、まさにこの事である。



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2012年5月16日水曜日

[小説]ニートはBARにいる

三、四両ほどの短い電車からホームへと降りてゆくまばらな乗客たちは、みな疲れきった顔をしていた。
改札を抜けると、タクシーの排気ガスと春の夜の空気が混ざり合った匂いがする。
長い一日が終わり、夜の街が目を覚ます前の、独特な匂いだった。

ニートはパーカーのポケットに両手を突っ込んだまま俯き加減に歩いた。

駅前の広い通りを少し入った所に、ぽつんと一軒、バーが佇む。

「BAR Bordeaux」

蔦の絡まった扉に掛けられた木製の看板にはイタリック体の店名が焦がしてあり、
それを今にも消えそうなランプの灯りが照らしていた。

「ボーデュアウクス。」

そう呟くと、ニートは建てつけの悪い扉に手をかけた。

「カランコロン」
「いらっしゃいませ。」
「」
「こちらのお席へどうぞ。」
「どうも。」

薄暗い店内にはどんよりと沈んだ空気が淀み、オーディオが流すサックスの音色はひどくくすんで聞こえた。
カウンターの椅子に腰掛けると、バックバーにきちんと並べられた酒瓶を眺めた。
磨かれたグラスは眩いほどに透明で、おしぼりのタオルからは何かの良い香りがする。
ニートは感心した。

苺を二粒とチーズを二切れ、それからクラッカーを一枚。
バーテンダーはそれらを手際よく皿に盛り付けてニートの前に出した。
ニートは一瞬「まだ注文していないのですが」と伝えようとして、やめた。
きっとバーではお決まりの、粋な何かなのだろう。

ジントニックを注文すると、ニートは煙草に火を付けた。
ゆっくり煙を吸い込むと、カウンターの向こう斜め上の、暗い宙に向かって吐き出した。
天井に埋め込まれたダウンライトの光に白く拡散する煙を睨み、ニートは何か思おうとしたが、何も思いつかなかった。

「ライムは搾りますか?」
「ええ。たっぷりと。」
「今日はお仕事で?」
「いえ、今日は休みでした。」
「いいですね、平日お休み。」
「はは。」
「しかし、まだ五月というのに暑い。まったく、今日は皆半袖でしたよ。」
「半袖?」
「ええ。」
「今日はずっと家にいたもので、気付きませんでしたよ。」
「それがいい。せっかくのお休みです。」
「はは。」

ジントニックを一気に半分ほど飲んだ。ライムを搾りすぎたなと後悔した。

ニートは二本目の煙草に火をつけると、改めて店の中を見渡した。
十席ほどあるカウンターの一番奥では、サラリーマン風の男が黙ってバーボンを飲んでいる。
グラス半分のジントニックで少し良い気分になっていたニートは、残りの半分を一気に飲み干すと男に話しかけてみた。

「その腕時計は、どこのですか?僕のと同じかもしれない。」
「タグ・ホイヤーです。」

会話はそれで終わった。

ニートは気を取り直して三本目に火をつけ、バーボンを注文した。
バーテンダーがアイスピックで氷を突いているのをぼんやり眺めながら、結露した空のグラスを指で撫でる。

ニートは、猫のことを思い出していた。
昨日、ニートは自宅近くの神社へ行った。用は無い。なんとなく、だ。
石段に腰掛けて何をするでもなく煙草をふかしていると猫がやってきた。
白くて、大きな猫だ。白くて大きいこと以外の特徴は忘れてしまった。
猫はニートの側まで近寄ってくると、大きなあくびを一つしてから、

ここまで思い出したところでバーテンダーがバーボンのオン・ザ・ロックを差し出した。

「ありがとう。」

ニートはそう言うと煙草の火をもみ消してそれを一口飲んだ。
猫のことについて、それ以上思い出す気はもう失せてしまった。
猫のことに限らない、大抵のことがそうだ。
ニートはニヒルな苦笑を浮かべた。

「カランコロン」

扉が開いて、一人の女が店に入って来た。
女がニートの二つ隣の席に座ると、シャンプーと香水と、女自身の甘い匂いが混ざって香った。
ニートは勃起した。

「スティンガー」

女はくすぐったくなるほど色気のある声でスティンガーをオーダーした。
ニートのスティンガーミサイルはアウト・オブ・オーダーだった。

ニートはバーボンを一気に飲むと、とびっきりキザな発音で「Shall We Dance?」と意味も無く独りでつぶやいた。
それから幾度となく「All right, All right」とつぶやき、バックバーに並んだカンパリのビンに向かってウインクをしてから、女に話しかけた。

「女性が一人でスティンガーだなんて、とても素敵だ。君の『毒針』、ずいぶん鋭いと見たね。」

まず第一に、ニートは無駄に洋画を見すぎるというきらいがある。
第二に、実際の女性経験があまりにも少ない。
そして第三に、かなり酔っていた。

しかし振り向いた女を見て、事態がそれほどAll rightではないことをニートは悟った。
彼女は大変な不細工であったばかりでなく、自分よりも二十は年上であるように思われた。
年不相応に身に纏った派手な洋服と化粧は、およそまがまがしいと言うべきものであった。

「ふふ。ねぇ、わたし、いくつに見える?」

タグ・ホイヤーのサラリーマンとバーテンダーが顔を見合わせた。

ニートは、死んだ。



END


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